日記・コラム・つぶやき

WordPressで新しいブログサイトをつくりました

iていきょうでkr突然ですが、お知らせです。

タイトルのように、新しいブログサイトを立ち上げました。

初めてWordPressを使って、設定をして、ブログを公開しました。

ブログ名は「あいあい」

ライターとして、本格的にスタートを切るためのブログを自分に用意し、毎日更新することを心がけて書き進めていきたいと思います。

女子なら誰もが「幸せになりたい」と願っています。

そんな女の子への健康や美容、心に働きかけられるような情報を提供するブログサイトを目指しています。

今まで「DEIZAN」をご愛読くださったみなさん、これからは「あいあい」でもお会いできることを願っています。

http://room-cl.sakura.ne.jp/aiai/

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エモーション

「恋の季節のにおい」というのは、人それぞれにあるのでしょうか。

わたしにとっては、4月から5月にかけて、緑薫る豊かな季節にそのにおいがある。

そのにおいが鼻先をくすぐると、いつも大好きな人が記憶の中をめぐるのだ。


どうして、こんなことを綴っているのかというと、文章からは溢れ出る気持ちや感覚を味わうことができることを思い出したから。

この頃、淡々と綴る文章になっていることが多く、感情が込められていない。

これでは、どんなに書き進めても文章力の先へは行けないでしょう。

「文章力の先」、それはなんなのでしょうか?

それは「感情」なのだと、わたしは思う。

そもそも、文章は感情でできているんじゃないだろうか?

感じる想いが多ければ文章はあふれ出し、少なくなると、必然的に減ってしまう気がする。

だから、何かの文章を書きたいときは、まず感じることを大切にしたい。


こんな風に思ったきっかけは、清水義範さんの「心を操る文章術」の最後の章を読んだところだった。

「第5章 文章で和ませる」の中で紹介された阿川佐和子さんのエッセイを読んで、ケーキのお話なのだけれど、なんとなく恋の季節のにおいを思い出した。

ああ、そうか。文章というのは感じるままに綴ればいいんだ。

そうすればリアルな感情をもって、読者を引き込ませられるのかもしれない。


いま、「東京電力」の記事を書いている。

企業に関する記事というものは、中立的で、感情をおもてに出してはいけない。

読者の感情を揺さぶり、テーマとなっている企業に損害を与えてしまっては訴えられかねないから。

そんなことをずっと心に留めていると、どのような視点をもって書けばいいのか、ときどきわからなくなってしまう。

けど、やっぱり自分が感じることを書くのが一番かなと、そう思った。

イラストやデザインも同じで、テーマやコンセプトに沿って描くけれど、見る人の心を動かすものはやっぱり「感情」なのだ。


感情があるからこそ、見る人にも想いが伝わるのだろう。

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2015年を振り返ってみた。そして2016年…

2015年を振り返ってみた。

勤めていた会社では広告や制作、展示会などのお仕事に、会社で行うセミナーと活動を担当、それに慣れない営業事務が加わるという怒涛の幕開けだった。

楽しむことを忘れ、余裕を失い、見事に体調を崩したとき、友人の誘いで行ったライブでの出会いが、楽しむことの大切さを思い出させてくれた。

心のゆとりを取り戻し、できない営業事務の仕事を断ってからというもの、心の状態はグンっとよくなっていき、仕事にも精が出た。

たくさんのご縁をいただいて、フリー活動で記事の執筆を経験し、画家のモデルを始めた。

初めての本づくりにも挑戦してグループ展に出展。

それらの楽しさと難しさが同居する面白みを味わった。

半年も経たないうちに独立を決意し、去年その存在を知ったクリエイターEXPOにも見学に行った。

そして出展を決め、独立に向けて引き継ぎの準備に入った。


夏は、制作に打ち込んでいたおかげで、知らず知らずのうちに過ぎていった。

9月の展示会が終わる頃、仕事の引き継ぎに問題が起きた。

自分の未熟さと闘いながら、同時に小説は順調に進み、キュレーション記事の依頼は単価アップつづきで継続する一方、ブラック企業に関する記事の執筆が滞った。

一人の力は有限なのだと悟り、引き継ぎの仕事に集中した。

その間、空いた土日の時間を使って、さまざまなセミナーに参加した。

そしてあるセミナーで、とある素晴らしい講師と出会えたことで、わたしがずっと心のうちで知りたかった答えを得た。

それはわたしに「次のステージに来たんだ」と教えてくれた。

同じ頃、社長に引き止められて、わたしは独立の決意は正解なのだと確信した。

事業の準備はまだこれからだけれど、会社でのミッションを終え、みんなからのサプライズ送別会でまさかの号泣。

おかげでその時にいただいたプレゼントをオンタイムで写真におさめることができず、家に帰ってから思い出をパシャリ。
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年末、アーティストさんたちとの忘年会で新たな企画が生まれた。


2015年。

ひと言では語り尽くせないほどのことを経験した。

ひと言では言い表しきれないほどの辛さと嬉しさと、難しさと面白みを味わった。

たくさんの感情を伴いながら、そのひとつひとつの情景を脳裏にめぐらせ、そして来年を想う。

2016年、どんな一年になっていくのかが、楽しみで仕方がありません。


みなさんにも、素敵な一年の幕開けを…
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嬉しいこと

先日、当ブログで発表した「非日常への扉口で」。

絵画とケルト音楽のコラボ展、「みずいろの路地」の感想文。

その時の写真と合わせてコラム風にデザインし、先生とシャナヒーさんに送りました。

「あの日のことを、素敵な文章で記憶に残せるのが嬉しい」と、主催者たちからのご感想!

とても喜んでいただけたことがなにより嬉しくて、ここ数週間はテンションがだだ上がり☆

そしてシャナヒーさんのブログで紹介していただきました♪

☆↓↓↓↓↓☆

http://shanachie.exblog.jp/

 


最近は素敵な音楽と出逢うことが多くなりました。

そして、音楽のような文章を書けるようになりたいと、そう思いました。

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非日常への扉口で

苦楽園に隠れ家のごとく居を構える「遊楓亭」で、不思議な時空への扉は開かれた。

わたしのデッサンの先生である画家・待井健一先生と、北欧のケルト音楽を主に演奏活動をされている音楽グループ・シャナヒーさんの、絵画と音楽のコラボ展に行ってきました。

遊楓亭が醸し出す神秘的な雰囲気と、日常と非日常の狭間を表現する絵画と、北欧の伝統音楽のリズムが溶け合う幻想的な時間は始まった。

***

さっそく演奏されたのは「Butterfly」と「Scottish reel set(スコティッシュリールセット)」。

その音楽に耳をそばだてていると、軽やかにその世界の中へと誘い込まれていく。

シャナヒーさんのご挨拶をはさんで、3曲目の「Hear Me」は静かに漂う一曲だ。

まるで水面をかすれるようにして、ふわふわと浮いているような気持ちになる。

目をつむり、耳をすませると、先生の不思議な世界観を魅せる絵画の世界へと入り込んいく。

水色の路地に佇み、遠くの景色を眺め、風を感じ、魚と会話をするの。

絵の中の主人公のように。


続いての「Sulla Lulla」は、北欧の子守唄という。

なんて柔らかい音色なのでしょう。

母の愛に包まれ、やさしくて柔らかい手がとん…とん…とんと、リズミカルにからだに触れてくれる。

そんなやさしさに溢れたメロディーに、淡い眠りにつく夢路へと誘い込まれていく。

***

2曲演奏する合間ごとに、シャナヒーさんのお話があった。

今回のコラボ展のタイトルは「みずいろの路地」。

コンセプトは「迷い込んだ世界」。

まさにその雰囲気をたっぷりと味わえる時間と空間の中にいた。

軽やかに、心までもがふわふわと宙に浮かぶような、ふしぎな世界。

わたしたちは、重力のない、美しい音色と淡い光の中に漂っていたんだ。

***

5曲目の「Scottis Fran Lima(リマのショッティス)」は、北欧の香りがふんだんに盛り込まれた一曲だった。

その演奏する姿は、なんて楽しくて、自由なのでしょう。

もっと自由に発想をふくらませて、心を広げていいんだと、語りかけられた気がした。

そして「Sky Polska(空のポルスカ)」のリズムで、北欧の海辺に沈む夕焼けが見えた。

真夏の夕暮れの海岸で、たくさんの人たちが集まって、歌い、踊り、テーブルを広げザリガニパーティーをしている光景が浮かび上がってくる。

楽しくて、穏やかで、軽やかな日常。

歌はなくとも、歌声が海の遥か向こう側からささやくように響いてくる。

***

先生のお話を聴いていると、デッサンを教わっていた頃の光景が懐かしい光としてよみがえってくる。

あの楽しかった時間からいつの間にか、もう8年も経っていたんだ。

小さな離れのような古めかしい日本家屋の中で、多くの人たちがひしめきあい、この不思議な時間を共にした。

日常の世界と、非日常の世界を行ったり、来たり…

そんな歓談時間をはさんで、セカンドステージが始まる。

***

「Sjung i stilla morgonstumder(静かな朝)」はそのメロディーが奏でられると同時に、朝の空気が鼻先をかすめた。

風になびく草原の薫り。

小花についた朝露がひと滴、草の上に落ちる音色。

少しずつ、一面を明るい世界へと導いく太陽の光。

そんなさわやかな朝の光景が目の前に広がっていった。

続いては「Kuin pimia pilvenreuna(雲端の闇のように)」。

心の奥の静かな叫び声が聴こえてくるようなメロディーで始まった。

ほんのりと、悲しみが、切なさが込められていた。

レンガ造りの建物に囲まれた街を歩き、そこから望む夕焼けの空の遥か向こうへと飛び出したい想いと、今いる場所から離れたくない気持ちが交差する。

迷いの中に、静かな決断が見える。

そんな光景が浮かんでくる一曲だった。


3曲目は「Nobilis Humilis」。

日本語で「木の印象」。

独特な音のリズムの中で、非日常の、なんとも表現しがたい面白みが心の内側から踊り出す。

そこからつながるメロディーは、その独特な音にみずみずしさを加えた。

木の幹に水が与えられ、枝の先へ、梢の先へとのびていく。

林の中で、風に揺られてさわさわと、葉と葉のこすれる音が聴こえてくる。

そこにしか生息しない鳥が羽を休めて、木々が奏でる音楽に歌声を添える。

そして心を癒そうと、なでるように奏でられた「Polnas fran Sexdregae(セクスドレガ地方のポロネーズ)」のメロディーは湖畔を想像させた。

家族が、友人が、近隣の人たちがどんどん集まってくる。

楽しい雰囲気に包まれていく。

民族衣装を身に纏い、水辺で楽器を奏でる。

風景はめざましく移り変わり、草原へ、村へ、町へと飛んでいく。

まるで風が世界を旅するように。

色んな表情で、色んな国へと。

そして「朧ろ月夜」のメロディーによって、日本へと帰る。


ラスト1曲は「雨の中で…」。

ピッチピッチ、チャップチャップ。

水玉の傘をさして、水たまりを飛び越えて。

雨の中はなんてすがすがしいのだろう。

こんな日にこそ町へと出かけ、すれちがう人々と笑顔で挨拶を交わしたい。

雨が地面に降るしずくの音に、心が踊り、からだが弾んでいく。

***

日常と非日常の間で、ときどき振り返りながら幻想世界へといざなわれていく。

そんな夢のような、まぼろしのような、とろけそうな時間だった。

***

アンコール曲は「月の庭」。

なごやかな音色に、ゆりかごのような心地よさを感じる。

静かに、この不思議な空間との別れを惜しみながら。

この扉は、永遠にここに漂っている。

そんな余韻に浸りながら……

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寒い2月

2ヶ月も休まずに働いていると、さすがに疲れが溜まってしまう。

心身ともに疲れてしまって、書く物語の世界にうまく入り込めない。

随分と長い間、物語を留めていたから、焦りもある。

のんびりとしていられないのに、リラックスした状態にいないと、心がうまく稼動してくれない。

しんどいことを考えたくなくて隙をつくらないのに、体には逆効果だった。


もう、だめだ。

何度、思ってきたことか。

それでも、しなきゃいけないことは、たくさんある。

心も体も、いつも明るいわけじゃない。

笑っていても、泣いてる時もある。

そういう時は、いったいどうすればいいのか、本当にわからなくなってしまう。

それでもやっぱり、どうにかしなきゃいけない時がある。


今月はいっぱい働いて、来月はたっぷり休みたい。

会いたい人が、来月にはいっぱいいる。


寒い寒い2月。

3月になれば、少しは温かくなるといいな。

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新年のご挨拶を申し上げます。

遅ればせながら、謹賀新年です。

2014年。午年になりましたね。

年明けから、仕事三昧のわたしですが、ようやく一段落しそうな予感。

とは言ったものの、今年はちゃっかり初詣にも行きました。

湊川神社へ、お母さんとともに参拝。


元日午後の神殿の上空では青い空と白い雲が広がっていました。

風に乗って、トンビが二羽、遥か上空を悠然と飛んでいました。

地上では、人々が元旦の賑わいを見せていました。

そこに、屋台がたくさん便乗していました。

今年一年の安泰を祈願するため、長い列が神門の外まで成されていました。

その中に溶け込んだのは、実は初めてだったりします。


ということで(?)今年も一年、DEIZANをよろしくお願いいたします。

あ、りふれっしゅTimeもよろしくお願いします。

なんて、ちゃっかりCMしちゃいました。


本年も皆様のご無事とご幸運を、心より願っております。

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新しいブログをはじめました。

DEIZANと、ひと味ちがうブログをはじめました。

日々出逢うこと。

まわりの風景。

五感で触れたもの。

心に感じたこと。

ほんの短い文章で、どれほど表現することができるのでしょうか。

わからないから、やってみる。


DEIZANとあわせて楽しんでもらえれば嬉しいかぎりです。

http://clin111.blogspot.jp/

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今朝のコバナシ

困ったことに、ペンを忘れた。

早朝のスタバで、今朝出くわしていたことをメモに綴ろうとして、そのことに気がついた。

ペンは家にたくさんある。

会社にもいっぱい、ある。

しかしわたしのかばんの中には一本もない!

そういえば、昨日メモ帳にペンを挟んだ状態でかばんから取り出し、今朝しまう時はメモ帳だけを入れてしまっていた。

ああ、わたしとしたことが…こうしてスマホのメモアプリにキーボードを使って打つしかないなんて。

慣れていないからよく間違うし、時間がかかる。

スマートフォンなのに、手書きほどスマートに感じられない今日この頃。


あ〜、ペンがほしい!!

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疲れ。

身体が動くって、なんてすばらしいのかしら!

どうしていきなりそんな話題なのか。

そう、わたしってば、また身体が動かなくなった。

今度は上半身。

腕以外がまったく動かない。

ヘルニアではなく、疲労が溜まっていたらしい。ついでに首の骨が曲がっていた。

首と背中の筋肉が固まった感じだった。

以前左足が麻痺して動けなくなった時より厄介だったのは、感覚があること。

痛い。つらい。苦しい。

動きたいのに、動かせたいのに、まったく動けない。

そのことのがどれほど辛いかを、その状態にならないと本当にわからない。

仰向けの状態で安静にするしかないわたしの頭にふとよぎったのは、ALSという難病だった。

もちろんその病気になった!…とは思わない。

ALSは足先から上へと、筋肉がだんだんと固まってしまう病気だから。

ただ、症状として、おそらくALS患者はこんな感覚で、こんな辛い気持ちを抱くのだろうなと、なんとなくわかった。

もっとも、大きな違いは、彼らは最期の時を宣告される。

そしてその時が来るまで、その痛みを、その辛さを、その苦しさを、抱き続けるということ。


入院には至らなかったわたしは、家で安静にしていた。

ミオリラークという筋肉を和らげる薬の副作用で、まる三日間、ほぼ昏睡状態だった。

ご飯を食べて、お薬飲んで、眠る。

その繰り返しだった。

どうせ動けないから、つらくなるよりは随分とマシだけれど、眠っている時間が長くなると、今度は脳が異様に熱くなって、痛くなる。

それでも眠ってしまうのは、お薬の影響だった。


身体が動けるようになると、ずっと眠っていたため、ちょっと動いただけで息が上がった。

散歩が、休憩を入れないと10分と持たない。

けれど、身体が動くようになったことが、本当に本当に嬉しかった!

動けたことに、感激した。

動けなくなった日、仕事を切り上げて病院に駆け込んだわたしは痛みと不安で涙が止まらなかったもの。

ただの疲れだと知って、更に涙は流れた。

「もう働くな」とドクターストップがかかり、「堂々と休める」と内心でほっとした。

それでもその翌日に出勤したけどね。チャペルの仕事はする人がいないから。足は動くし。

さすがに倒れる寸前の状態だったから、早引けさせてくれ、「明日はもう休め」と言われた。

それから三日間、眠りこけていたわたしは、眠りつづけることがどれだけ辛いことかを実感させられたと同時に、眠ることの大切さを痛切に感じさせられた。

気力が回復したんだもの。

お肌がつるつるになったんだもの。


涙がとめどなく流れた日、小さな整形外科医院で、わたしは有名人になった。

よほど、疲れていたのかもしれない。

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