日本×中国

天女の衣は美しい

知人が貸してくれた「Sports Graphic Numberベストセレクション」を読む。


長嶋茂雄の章でこんな四字熟語が綴られていた。

 天衣無縫ーてんいむほう

この四字熟語は中国にいた頃、小学校の勉強でも、テレビドラマや映画などでもよく耳にしていた言葉だったのでよく「知っている」つもりです。

日本で使われている四字熟語は中国故事から引用されているものも多く、意味も中国語のそれとほぼ変わらない。

この「天衣無縫」を日本語の書籍で初めて目にし、日本でも使われているんだと驚いた。

それは中国語の四字熟語の全てが日本でも使われているわけではないし、日本のそれも日本特有のものがあるからです。

従って、この「天衣無縫」を見てちょっとした感動を覚えたのです。

しかし、なんとなく私が知っている「天衣無縫」の意味と文章の意味が繋がらない。

「?」マークが頭の中で飛び交った。


最近なにかと辞書を引くことが多くなった私は迷わずその意味を調べてみた。

「(天女の衣には縫い目がないことから)

①詩歌などにわざとらしさがなく、自然に作られていて、しかも美しいこと。

②性格が無邪気で飾り気がないこと。天真爛漫。」

そう書かれていた。

「え!?」と、二度目の驚きを覚えた。

中国の方なら、きっとみんなが私と同じ反応をしているのではないでしょうか。

なぜなら、中国語にある「天衣無縫」とは全く異なった意味を日本語が持っているからです。

自分の中国語理解力に疑問をも抱きつつ、念のため母にも聞いたし、中日辞典でも調べてみた。

「破綻や欠点が一切なく、完璧な出来栄えである」

そう。これが中国語での意味なのです。

わかりますでしょうか?

「完璧である」「隙がない」などの表現をする時に、中国語では「天衣無縫」という四字熟語を用いているのです。

面白い、と思ったのは、日本語の意味では「天真爛漫」が類語にあたること。


文章の中では、長茂雄の人柄を「天衣無縫」と表現していました。

私の知っていた「天衣無縫」とは人の行動や物事の出来栄えなどの表現に使われることはあっても、人物の性格を表現したいときに用いられることがあまりないように思う。

全く欠点がなく、よっぽど完璧な人物を表現する時に用いられることもあるでしょう。

けれど、中国語では「天衣無縫」と「天真爛漫」は結びつかないのです。


この言葉の意味において、多少戸惑いを感じながらも日本語と中国語の違いがとても面白かった。

「天真爛漫」とも取れる「天衣無縫」は、なんと美しい表現なのでしょう。

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 国 

万博にて、一日の入場者数が史上最多の103万人を達成した日。

1970年の大阪万博の6,421万人という記録を超え、6,429万人となった。

同日、中国各地では尖閣諸島問題で反日デモが行われていた。

そんな万博が残り二週間を切ったある日のことでした。

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用事があって、いつものように送迎バスには乗らず、タクシーを拾った。

万博スタッフ専用出入り口を通って出てきたからだろう、運転手さんにはスタッフであることがわかっていた。

突拍子もなく、話は始まった。

「万博残り二週間、もし今から中国政府が入場者数の目標を8,000万人にするって発表が出たら、達成できると思う?」

いきなりそう聞かれて、現実問題を色々考慮したが、どう答えたらいいのか戸惑ってしまった。

けれどその答えは明確だった。

――できる。

それが中国政府。

二週間で1,500万以上もの人たちを動かすだけの力を、中国政府は持っている。

「なぜだと思う?」

――上の者がしたいと言った事を達成できない者は即クビ。

頂点に立つ者の言葉は絶対的なんだ。

古代より、中国には皇帝という絶対的存在があった。

今でこそ改革されたけど、国家主席がいわば皇帝にあたる。

国民には反抗する力がない。

いや、国が持たそうとしないのです。

「文化大革命って、聞いたことあるか?」

――親世代の人たちが経験した、戦後で最もつらい時代だったという…

その頃には言論の自由すら許されず、メディア報道や世間話でさえ内容が決められていた。

共産党を批判した者は監獄入り。

事によっては死刑にもなり得る。

現代になっても、その名残りはあるとわたしは思う。

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ここまで聴いて、中国とはなんという恐ろしい国なんだろうと思ったことでしょう。

わたしも同じです。

日本じゃ、絶対に有り得ない。

だけど、そうならざるを得ないのもまた事実です。

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人口13億超。

これだけの人たちを、民主主義では確実にまとめられない。

13億の人々が全員で是非を論ずるとどうなるのか。

きっと想像を絶するものとなるでしょう。

大きな国で、13億人もの人たちの意見をまとめる方法。

それは、――意見を言わせない。

国民ひとりひとり、物事に対しての考えはちゃんとある。

国に対しての不平不満もきっとたくさんある。

だけど言わせない。

それが中国のやり方だ。

つい先日、ノーベル賞を受賞した中国人活動家が批判されたのもそのためではないでしょうか。

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尖閣諸島問題を経て、わたしの中で中国とはどのような国なのかを客観的に観ることができた。

賛否両論だと思う。

中国をかばうつもりもありません。

何が正しくて何が間違っているのか、わたしにはわからないし、判断する資格だってない。

ただどんな国でも、今の国際社会で生きるのに必要とするのは、先見の目を持ち賢明かつ公平な統治者であることには違いないのではないでしょうか。

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神戸と上海

生まれ故郷である上海と、育った街神戸。

よくどっちが好きなのって聞かれるけど。

どっちも好き。

でも育った場所だから、神戸のほうが私としては暮らしやすいかな。

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海があって、山があって、自然と人がうまく溶け合った街。

山から見下ろす港が好き。

神戸のシンボルに見守られ、ライトアップされた街が好き。

人も水も自然も、何一つ不足しないこの街は、メンドくさがりの私が暮らすにはピッタリなのです。

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それでも、神戸とよく行き来する上海には親戚や友達、小さい頃からの私をよく知る人たちがたくさん住んでいて、馴染み深い。

そんな上海が、万博のために大きく変貌する。

もうすぐそこで7ヶ月間暮らすことになるけど、その一新された姿をいち早く見られるのが、今からすっごく楽しみ!

でもひとつだけ不安がある。

食べ物がすごくおいしいから、太らないかって…

私は食いしん坊で有名だから、早くもおばあちゃん達が、私が行ったらコレ作ってあげるとか、アレ買ってあげるとかで、食べ物の話ばかり。

ここ一年程でそんなに食べなくなったことを知らないで…

それに万博で働くのに、激太りするわけにはいかないしね。

でも食べ物も、やっぱり楽しみ!

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そんな上海で7ヶ月間も過ごすもんだから、会う人会う人に「向こうでいい人見つけてそのまま住んじゃうんじゃない?」なんて冗談めかして言われるけど…

いいえ。

私の好きな人たちが神戸に居る限り、ここ以外の街で暮らすなんて今の私には到底考えられないよ。

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神戸と上海。

日本と中国という“国”を挟んでいるけど、この二つの街はとても似ている。

上海には山こそないけれど、神戸と同じ港であることから、海沿いには西欧調の建築物がずらりと並ぶ。

夜、2国を原付で走ってると、時々上海にいるんじゃないかって錯覚をおこすことがある。

そんな時はいつも思う。

ああ、私、神戸に来てよかった。

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HOME.TOWN.

神戸が好き。

山があって、海があって、街がある。

環境もよく過ごし易い。

水も空気もおいしい!

上海から帰ると余計にそう思う。

もちろん上海も好き。生まれ故郷だもん。

上海は賑やかな街です。

歴史こそは浅いものの、内容は濃く人も濃い。

私の少ない知識で上海という街を簡単に紹介したいと思う。

上海は、元は揚子江から繋ぐ黄浦(ホワンプー)という河と広い黄土で覆われた「上海鎮」という提挙市舶司―――つまり管理局みたいなもの(…かな?) が置かれていたが、清の時代に海関に引き継がれ、後1842年の南京条約(アヘン戦争終結のためイギリスと結んだ条約)により開港された。

―――上海の歴史はここから始まったといえる。

開港されてすぐ、英米仏の租界(居留地)が置かれ、そこから貿易が始まる。後に日本も加わり、外国資本によりさらに貿易が盛んになった。(貿易だけじゃないけどね)

いろんな人種がいたためか、当時の上海はギャンブラーやマフィアたちの溜り場だった。

今の上海は市区面積が150k㎡、市区人口約1004万人からなっている(資料より)。

貿易、経済面がさらに伸び、古い建物が次々と高層ビル群へと建ち並び続けている。

いまや世界中の注目を浴びている発展途上都市である。(地図は年に一度更新されているそうだ)

まあ、難しい話はこのくらいにしておこう。

上海という街の見所はなんといっても、新上海と旧上海が黄浦江(ホワンプーリバー)を挟んで向い合っているところだ。

歴史を見つめつつ発展している…ってところかな。

そして夜になるとネオンが一斉に点灯し、街を照らす。

メチャクチャきれいなの!―――上海名景のひとつである。

都市景色だけではなく、なんといっても食べ物が美味しい!!

今の季節は上海ガニが最高!お湯でゆでるだけでいいから作り方もとても簡単☆そのまま食してもいいし、お酢をつけてもgood!

夜になると、都心以外の場所では夜店もあって、日常用品を相当安く買えたり,

冬は外でお鍋できたり,

夏には扇子を持って道端で涼しんだり、アイスやらスイカやらを食べたり。

(これは中国の伝統的な風物詩のひとつでもある)

良いところは他にもたくさんあるけれど、そればかりではない。

これだけ発展しているにもかかわらず、道は汚れているし、バスも古く汚い。

それに車や自転車が多いだけに、交通が雑くて不安全。

人は平然と道の真ん中を歩きたたずむ。

車は人を譲らなず、しかも赤信号でも右折するのは当たり前。(右通行である)

ついでに空気も悪い。黄ばんでマス…………

サービス精神にも乏しい。

今は前と比べると良くはなっているけれど、買い物に行くと売り手が無愛想なのが多い。怒ってるっぽく見えてちょっと恐いのよ。

もうちょっと改善できないものかしらといつも思う。

もちろんいい人もたくさんいる。すぐ仲良くなれたり、世間話できたりなんかして…

ま、それも「味」だったりしてね。

こんな人たちだけど、素朴で勤労。

早朝6時には朝市場や朝食レストランが店開きをする。

市場には野菜や果物、肉から魚までなんでもあるし、

夜は12時過ぎまで夜店が開いてたりする。

毎日ただ働いて、家族を養って、子供を育てて。

その繰り返し。

それで一生。

休みなしでひたすら働く人は数えきれない。

旅行できる人なんてほんの一部だけ。だって中国はまだまだ貧しい国だからね…

だけど私は思う。そういう素朴な生活こそが一番幸せなんじゃないだろうか。

本当に命を大事にして、生きようとしている。

これからの上海はきっと大きく変貌していくだろう。

街も人も、景色も空気も。

発展し終えてからも楽しみだけど、今の上海を見れるのは、

今しかない。

―――街を見て、人を感じて、今この時を記憶に刻みたい。

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阿里阿多

今月末で私が日本に来て満13年になる。

13年前、何も知らずに母の再婚で上海から日本にやって来た私が知ってる日本語といったら

「ありがとう」ぐらいで、

しかも「ありがとう」という文字ではなく、中国語で当て字して「阿里阿多」なんて書いて覚えた。

それも当時のクラスのみんなで、私が日本に行くというので、黒板に白い文字で大きく書いて、

「謝謝(シェシェ)は日本語でこう読むんだぜ」って、友達に教わった。

日本にやって来て、感謝すべき人は沢山いる。

ここでひとり、私の親友――――――いっこ

なぜ親友になったのかというと・・・

5年生で同じクラスになった彼女は、私と家がものすごく近い(徒歩30秒もかからない)というので、担任の先生が、

「西村さんを頼むよ」

と言って、私の登下校の世話を彼女に託した。

いつの間に仲良くなったのか、まだ全然日本語がダメだった私がある日突然、

「親友になろ」と言った―――――いっこ曰く。

その日から13年、私たちは未だ親友をしている。

彼女には家族ぐるみで沢山迷惑をかけた。

小6の時足を骨折して、ひと月以上ギブスをしていた私を、彼女は毎日、行きも帰りも、登下校に通る急な坂道で、真冬なのに汗水垂らして車椅子を押してくれた。

おかげで随分と体重が減ったって喜んでたけど(笑)

家の鍵を忘れてしまった時、ベランダからよじ登ろうとして、彼女の母親に見つかったときは

「シーリン大丈夫!?」

と、驚かせてしまったり。

毎年、お正月には彼女から家で搗いたおいしいお餅をいただいたり。

誕生日には、お互いの家の間にある街灯の下に座り込んで、プレゼントを交換したり。

下校中に喧嘩して、翌日の登校中に仲直りして・・・

彼氏ができたとき。失恋したとき。

何も隠さずに、彼女はいつも率直に言ってくれた。

(だから時々ムカついたりもしたけど・・・・・・ごめんね)

今月の11月、私たちは初めて離れ離れになった。

団地の建て替えで引越しをしたのだ。

もうあの街灯の下で話しをしたり、笑い合ったり、泣いたり、しんみりしたりするのはできなくなったけど、いつまでも私の一番の親友でいてください。

いままで本当にありがとう!

そして、これからもよろしくね――――――親友

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