わたしの話

二十年前

20年前の今日、わたしは病院にいた。

集中治療室で地獄の一晩を過ごし、ようやく病室に戻された後だった。

鼻には管が差し込まれ、腕には点滴、そして胸には大きなガーゼがはられていた。

40代前半だった美しい母は一夜にして前髪が真っ白になっていたのをよく覚えている。


来日して半年が経った頃、心電図検査で反応がなかったため、異常がないかを学校の先生に付き添われて検査へ。

そして後日、家族全員が病院に呼び出された。

医師に告げられた病名は、先天性心疾患---心房中隔欠損症。

生まれつき心臓に穴が空いていて、血液がその穴を通り体の中を逆流していた。

運動をすると血流が激しくなるため、その度に穴は大きくなっていく。

この病気自体は自然治癒することもあり、5、6歳の時に発覚すれば薬を飲むだけで治ることもあるらしい。

けど発覚が遅れると、手遅れになるという。

わたしの場合は幸運なことに11歳で病気がわかり、手術をすれば治ると言われた。

しかし、発病することはなかったものの、心臓は大人の男性サイズにまで膨張し、検査した時点で穴は直径2.5センチになっていた。

「あと一年遅かったら、手術をしても30歳までしか生きられなかっただろう」と、当時母は医師にそう告げられ恐ろしい思いをしたという。


手術は3時間半におよび、当初の予定より1時間以上かかったらしい。

原因は心臓の穴が検査時より更に1センチ広がっていたために、穴を塞ぐのに用意した布のサイズが足りなかったからだと、後に聞いた。

幸い術後の経過は良く、数日で点滴がはずされた。

子どもだったわたしにとっては病気も、手術も、点滴も、恐いと思ったことはなく、嫌だと感じたこともなかった。

唯一イヤな思いをしたのは、胸のガーゼを取り外された時だった。

大きな傷が胸を縦に縦断していた。

傷の下方両側には穴が二つ空いていて、そこから針金が通され体内に差込まれていた。

女の子であることを医師が配慮してくれ、胸を開いた傷は深い傷跡を残してしまう糸では縫わずに、人体用の糊のようなものを使ったのだと聞かされた。

しっかりとくっつくまでに、針金を体の中に通して傷を支えていたのだ。

その針金を抜かれた時が、わたしの人生の中で最も嫌な体験だったと言っても過言ではないほど、それはそれは辛いというか、気持ちの悪い感触だった。

けれど、体に傷は残っても、命の大切さを知ることができた。


与えられた二度目の命、一日一日が本当に貴重に感じられた。

32歳の誕生日を迎えられたことに感謝し、メッセージを送ってくださった多くの方々に感謝します。

ちょっとしたタイミングのずれで今ここには生きていないかもしれなかったことを思うと、時に恐ろしくなることもあるけれど、それだけに幸せな人生なのだと思う。

人なんて、いつ死んでしまうかわからない。

だからこそ命は大切で、だからこそ悔いのない人生を過ごしていきたいと、心から思います。

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時間

「今のあんたは一日48時間あっても足りないね」

母と夜の散歩を楽しんでいたときに、そう言われた。

うん、ホントにそう。

地球がもっとゆっくり自転してくれればいいのにって、本気で思う。


読む本がたくさんある。

借りてる本が3冊、買った本が3冊、頂いた本が3冊。更に予約してる本が2冊。

加えて小説を書くための資料、映像、小説やネットの記事。

欲をいえば漫画も読みたいのに、その時間がまったく取れず、未読のコミックスが今は山積み状態…(泣)

理解力に乏しく、もともと本を読むペースが遅い上、言葉の意味を調べたり書き出したりしていると更に時間はかかる。

さらにいえば、手がなまってきたから絵も描きたい。

言葉が出なくなってきてるから中国語の本も読みたい。

語学力が相当に低下してきてるから、英語の勉強もしたい。

友達と会って、もっと時間を共有したい。

なんで一日たったの24時間しかないねん!って、叫びたくなる。

しかし時間は伸びることも、縮まることもない。


「今までは随分と時間を無駄にしてきたわね」

母はぐさりと言ってきた。

それはきっと、以前は漫画ばかり読んで、描いて、結局形にしていないことをなにげに指しているんだと思う。

だけどわたしは反論した。

「お母さん、無駄な時間なんて存在しないと思うのよ」

だって、無駄に過ごす時間がなければ、それが「無駄だった」ってわからないもの。

どんな時間でも、過ごすことでその時間を経験する。

たとえ後に無駄な時間だったと感じたとしても、その時間を「無駄だった」と認識することがひとつの成長につながるんじゃないかな。

成長できるのなら、その「無駄な時間」はやっぱり無駄ではない。

それに、無駄に過ごす時間は人間にとって必要な時間なんじゃないかと思う。

その時間を過ごすことで、日々の緊張をほぐすことができる時もあるはず。

緊張やストレスを和らげる時間を過ごせるんなら、結局無駄じゃなくなるけどね。

わたしだって、漫画を読んでいたから日本語が話せるんだし、日本の文化を理解することができるんだよ。

小説と違って、漫画は敏感に時代を反映している。

そして絵で表現し、キャラクターの行動に合ったセリフがある。

だからわかりやすいし、伝わりやすい。

わたしが日本語を教えるなら、漫画を教科書にしたいわ。


話がかなり逸れてしまったが、母は言った。

「あんたは昔からごたくを並べるのが上手だもんね」

褒めてるんだか、貶してるんだか。

わたしは答えた。

「まあね〜」

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世の中には白か黒かをはっきりさせたい人がいる。

「Yes or No」

どっち?

選択肢がふたつしかない。

どちらかと言われれば…「No?」って答えると、なんで?と突っ込んでくる。

執拗に理由を知ろうとする。

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二択しかない事もあるだろう。

どんな事にも理由は伴うだろう。

だけど、どうしてかわからないけど、直感で感じる時だってある。

理由なんてないし、説明できない。

――例えば、どんな色が好き?って聞かれると、わたしは「青」って答える。

だけどなんで「青」なの?って聞かれると、…わかんない。

だって好きって思うんだもん。

そこで納得できずに、「青」のどこがいいの?って突っ込んでくる人がいるけど、どうしてそこまで理由を知りたがるのかをわたしには理解できない。

好きなんだから、しょうがないじゃない――

わたしはむしろ直感だけで生きてるようなものだから、理由を聞かれるとすごく困ってしまう。

それがいいか悪いかは置いといて。

人それぞれで生き方が違うから。

.

言わなくても、いちいち説明しなくてもわかってほしいなんて、ただの我儘なのかもしれない。

けど理由のない事に説明を求められると、正直めんどくさい。

でもそんなの言ってたら人づきあいなんてできっこないので、必死でわかってもらえるように説明する。

だけどうまくいかない。

「No」の理由がないんだから、「Yes」でしょ?なんて言われてしまうと、結局は、あー、もういいや。「Yes」で。ってなる。

でも今度はわたしが納得いかなくなる。

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どうして「Yes」か「No」しかないのかな。

どうして、白か黒なのかな。

間に灰色があってもいいんじゃないかなと、わたしは思う。

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*模様***

わたしは今の自分をとても満足しています。

(もちろん小さな不満や不安は沢山あるけれど)

わたしを取り巻く人間関係にとても満足しているのです。

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子供の頃には厳しく、大人になると溺愛してくれる母がいます。

この上ない善良な人である母は、わたしの、人としてどう生きるべきかを学ぶ鑑なのです。

そして幅広い年齢層の友人たちは常にわたしの心の支えであり、学ぶ対象です。

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夢を応援してくれる人がいて、

欠点を指摘してくれる人がいて。

恋愛話を話し合える人がいて、

夢を語り合える人がいて。

知らない知識を与えてくれる人がいて、

沢山の情報を発信してくれる人がいて。

心の声を聴いてくれる人がいて、

心の声を話してくれる人がいて。

腰の低い人がいて、

鼻が高い人がいて。

その人生の経験を教えてくれる年配の方がいて、

わたしのきつい冗談を全て笑い飛ばしてくれる年下の女の子がいて。

創作の刺激になれるように、いろんな感動を与えてくれる人たちがいて、

わたしの体調を考慮し、なるべく楽な仕事を配分するように配慮してくれる上司もいて。

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わたしはこんなにも素敵な人たちに囲まれています。

わたしはこんなにも素晴らしい人間関係に恵まれているのです。

皆、わたしにない良い所を沢山持っているから。

今の環境がとても居心地がいい。

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不安も多い生活の中で、わたしは幸せの在り方を導き出しつつあるように思います。

それは、満足しやすい心情を持つこと。

〝今″を満足することで、心にゆとりが出てくるのです。

心を広く持ち、ゆとりを与えることで、人は優しくなります。

常に笑顔でいられるし、他人の過ちを許すことができます。

それが幸せへの近道ではないかと思います。

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幸せは、他人に見せるものではなく、自分が感じるものだから。

幸せは、他人からもらうものではなく、自身で見つけるものだから。

心の在り方一つで、幸か不幸かを紙一重で分かつことができるでしょう。

苦しくて辛い想いは誰しもが経験することでしょう。

けれど、その険しい道は絶対に無駄にはなりません。

わたしは、そう信じています。

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ハヤリ

「あんた、また顔小さくなったんじゃない?」

母親に言われて気がついたのですが、この頃、日に日に顔が痩せてきている。

約一ヶ月間長引いていた風邪から立ち直った直後から…

不健康な痩せ方ではないのでいいんだけど、これ以上顔が小さくなると全身のバランスが…!

だって体は痩せてないんだもの…!!(泣)

うちの母は、顔がめちゃくちゃ小さい。

太っていても顔はわたしより小さい。

その母より、今はわたしの方が小さくなっている…気がする。

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顔が痩せたわけだから、鼻がちょっと高くなってきた。

わたし、男だったら絶対男前やわ

なんて、ふと鏡を見て思いました。

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よく、芸能人でいうと誰々に似てる…なんて話が話題に上る。

中学時代は広末涼子に。

高校時代は田中麗奈に。

数年前は常盤貴子や柴咲コウ。

ついこの前は、小林麻央に似ていると言われました。

それぞれの時代で誰がブレイクしているのかがよくわかりますね。

どの人も美しい人なので、嬉しい限りでございます。

ところが、いとこの家に遊びに行った時のことでした。

「お姉ちゃん、嵐の松潤に似てるよね」

え?

なに?

なんで!?

眉毛か?!

眉、太いからか!?

顔、濃いからか!!?

今でこそ嵐はすっごい人気で、松潤なんて綺麗な顔立ちだからいいように聞こえますが。

マスカラのCM、超キレイだしね。

そう言われた時は、まだ嵐が「あっらし~あっらし~~♪」なんて歌ってた時代でしたから。

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眉が太いことは前々からちょっと気にしていたのに!

とくに細眉メイクが流行っていたときは。

とか言いつつ、あまりいじったりはしなかったけどねぇ。

それが、これからはナチュラル太眉が流行るらしい。

わたしがそれを知ったのは去年の11月ごろに化粧品を買いにデパートに行った時でした。

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メイクをしてくれたのは(若干女性っぽい)男性の方で、やたらと「顔」を褒められました。

「きれいな眉ですね。来年は太めが流行るんですよ」と、教えてくれました。

その男性はメイクアップアーティストを目指していて、日々研究し、メイクの練習をしていると話してくれた。

女性と違ってメイクをしない分、勉強と練習は欠かせないと。

けれどその分女性のメイクさんより客観的に女性の顔を観ることができるとも話してくれました。

例えばビューラーをする時は、目は下を向き、まつ毛の根元にピタリとフィットさせて、小刻みに挟むようにして少しずつ毛先に移動する。

この時、ビューラーを上げるのではなく、下に向けたままするのがポイントらしい。

力を入れすぎないのもポイントです。

そうするとまつ毛はキレイなカールを描きます。

本当に。

あまりにきれいに上がっていて、びっくりしました。

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メイクにしてもファッションにしても、流行りというのは、ある程度気にはとめています。

調べたりもするけど、必ず自分のスタイルに反映させてるわけではない。

なにが自分に一番似合うのかを見分けることが一番大事なんじゃないかなと、わたしは思います。

ところで、顔が小さい小さいと日ごろから言われていたけど、自分でも思うわけだからこれ以上は本当にやばい気が…

その内顔がなくなったりして。

……怖っ!!!

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ウソ

12、3才の頃、父親に嘘をつかれ、騙されたことがあった。

それも、バックで大金が動くような大きな嘘を…

お金ほしさで。

騙されたことに気づいた時、大泣きしたのを覚えている。

そのために母方の親戚が父と大喧嘩もした。

だけど、済んだことはどうにも変えようがないし、母もわたしもお金に貪欲ではないから、父方の好きなようにさせていた。

裁判にかければ勝てるよとも言われたことがあった。

でもそんなのは精神的に疲れるだけだから、お金のためにそんなことはしたくない。

そのツケが15年後の今になって、少し返ってきてるような気がする。

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人間、悪いことはしちゃいけない。

物を盗むとか、人を殺すとかを言っているのではありません。

もちろんそんなことは絶対にしちゃいけないんだけど。

自分の利益のために他人を騙し陥れること、他人を不幸にすることです。

人を殺す――よりも質が悪いとわたしは思います。

わたし自身、誰かを騙したこともないし、嘘をついたこともない。

(嘘も方便ともいいますが)

そうしようとも考えたことがないし、できることならば誰も傷つけたくない。

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親族のいざこざに巻き込まれ、反発し合う人たちの板ばさみ状態。

父は約十年間、ずっとその状態だったという。

娘を騙した父親は、兄弟に騙されていたんだと知った。

それでも「騙された」なんて言わないし、兄弟愛を大事にしている父を尊敬する。

お人好しだなぁと思いながらも、その辺り、やっぱりわたしのお父さんなんだと胸をなでおろした。

けれども、父に「騙された」記憶が消えるわけではない。

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よく父に責められる。

お正月も誕生日も、娘から「おめでとう」のひと言も祝ってもらえないと。

確かに、私が覚えている限り、一度もない。

ひどい娘だと自覚していながらも、「じゃーお父さんはどうなの?」と言いたくなる。

娘よりもお金が大事だった行動が招いた結果なのだと。

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数年ぶりに会った父は随分と老いていた。

自分で選んだ道とはいえ、家族のいない生活はきっとすごく寂しいと思う。

人並みに親孝行はできないけれど、少し娘らしいことをしようと思った。

血のつながりは変えようがないものね。

けど…心のこもらないことをするのは好きじゃない。

気持ちがないと、わたしは動けない。

父親に対する愛を、昔はあったけれど、今のわたしには持ち合わせていない。

少なくとも現時点においては。

でも父が喜ぶのなら、少しがんばってみようと思う。

それって、ウソになるのでしょうか…

.

ときどき、嘘が必ずしも悪いことじゃないのかもと思うことがある。

いい嘘もあるんじゃないでしょうか。

誰かを幸せにする嘘があってもいいんじゃないでしょうか。

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long,long time

「事」を一身に引き受けると…疲れる。

しなきゃいけない事がいっぱいありすぎて、ときどき放り出したくなる。

優先順位をつけたら、どうしても自分自身のための何かが後回しになってしまう。

でも全て自分の事だから、皮肉に感じちゃう。

.

大事なことってなんだろう。

夢?目標?それとも仕事?

友達かな?家族かな?

はたまたお金稼ぎとか?

順番なんてないよね。

だから一緒に進行してるんだよね。

一気にこられると、ちょっと疲れるけどね。

周りが急かすとわたしも焦っちゃう。

時間ないのに…お金ないのに…って。

これもしなきゃ、あれもしなきゃ。

.

何かと華やかに見えるわたし。

よく考えたら、今のわたしには本当は何もない。

すべき事は沢山あるのに…何もない。

ちゃんとした仕事もなければお金もない。

恋人だっていないし、家族もバラバラ。

あと1ヶ月で28歳になります。

数字で見ると、結構な年齢だよね。

全然そんな感じしないけど。

周りは結婚して、子供産んで、家を買って。

羨ましい。

何もない自分を見てると、なにやってるんだろうって思います。

夢がある。

経験がある。

そんなのは活かせてなければ意味をなさない。

でも、確かな財産ではある。

.

自分のために何をしてきたんだろう。

何もしてない気もする。

大事なのは結果じゃなくて経過だって、よく耳にするし、わたしもそう思う。

だって人間、死ぬまでの全てが経過だものね。

でもなんの形にもなっていないと、さすがに凹む。

だからわたしはストーリーを書くのかな?

物語には終わりがちゃんと来るから。

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feelingwords

いざという時、いつも自分の感情を素直に表現できないでいた。

そもそもどんな感情を抱いてるのかさえわからない時がある。

「好き」も、「嫌い」も、「ごめん」も「ありがとう」も、言えないときは沢山あった。

感情をそのまま誰かにぶつけるのは、すごく恐い。

 言ってしまったらイヤがられるんじゃないかな

そんな思いがいつも先走って、全てを呑み込んでしまう。

相手の反応を知るのが、いつも恐いと思った。

その分、きっと沢山の幸せを逃してきた。

.

ときどき、一人だけ感情が周りについていけないことがある。

だからかな、大人数はちょっと苦手。

人より一歩遅いときがあるから、その分損することもあったり…

そのくせ、他人の感情を敏感に感じ取ったりする。

敏感すぎて、また先走って…

距離を置かれたと感じると、それに触れないようにと、更に距離を置いてしまう。

本当はなんともないはずなのに、確かめる勇気がなく、曖昧にしてしまう。

 放されるより、その方がまだマシ

ずっとそう思っていた。

.

.

人と人は感情で繋がっていると思う。

気持ちがあるから、繋がっていられる。

けれど、その一歩前に「言葉」が存在する。

「言葉」には勇気が伴う。

いつもその一歩をとばしてきた私は、相手との間に感情のズレをもたらしてきた。

気が付いたときには「もう遅かった」なんてことも少なくない。

「言葉」というステップを踏んでいないのに、うまくいくはずもなかった。

.

一枚の布を紡ぐように、言葉は糸なのでしょう。

どれだけ頑張っても、糸がなければそれは張りぼてでしかない。

糸がなければ、破れた穴を修繕することもできない。

 人と人はその感情を言葉にして、初めて完成に近づけられる

今はそんな風に思います。

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神様への感謝状

神様は私たちにどんな人生を用意しているんだろう。

どのぐらいの人たちと出逢い、どのぐらいの気持ちを抱くんだろう。

嬉しいとき

楽しいとき

悲しいとき

苦しいとき

切ないとき、

いっぱい笑って、いっぱい泣いて。

笑いたくても笑えないときもあるし、

泣きたくても泣けないときもある。

予想だにしない、表現のしようのない気持ちを知るときもある。

行き先のない想いだってある。

期待して、絶望して、それでも貫きたいと思うこともある。

その気持ちを失うことの方がもっともっと怖いから。

.

その運命を呪い、恨み、無念を残してこの世界を離れていった人は数知れない。

だけどその沢山の想い、気持ちを知らないまま生きている人もきっといっぱいいる。

神様が用意した気持ちを、そのひとつひとつを、味わうことができるのは、とても幸運なことなのかもしれない。

辛いとき、悲しいときの方が圧倒的に多い。

だからこそ、嬉しい一瞬一瞬をとらえ、ひとつひとつ大切にできる。

出逢いは沢山あるけれど、そんな気持ちがあることを教えてくれる人は少ない。

出逢えたことに、感謝いたします。

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おじいちゃん

万博開幕直前、お爺ちゃんが急逝しました。

心筋梗塞だった。

ちょうど休みだったので病院まで駆けつけたけど、会えなかった。

お父さん側のお爺ちゃんで、あまり馴染みがなく実感が沸かなかった。

それでも上海に来るたびにお母さんにお爺ちゃんに会いに連れて行ってもらっていたのに。

そんなお爺ちゃんが眠っている姿を目の前にしても涙は出てこなくて、なんて冷たい人間なんだろうと、自分を責めた。

だけど、お葬式の日、大泣きした。

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折角上海にいるので、私の休みに合わせて、7日にお葬式を挙げた。

日本からお母さんも参列して、親戚たちは「ありがとう」と言っていた。

そこにお父さんの姿はない。

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お爺ちゃんには本来6人の子供がいる。

一人は小さい頃に亡くなったと聞いた。

残った5人の内、お葬式に参列したのは2人だった。

一人は家族の事情でお葬式には出たものの、すぐに帰った。

一人は病院で闘病生活を送っている。

もう一人は、私のお父さん。

今アメリカにいて、連絡が取れない状態だという。

上海に来る前にお父さんに連絡をしようと親戚中に聞きまわった時に、ここ2、3年は連絡が取れないと言われた。

一方で亡くなったという噂も耳にしたけど、上海に来て、無事だという知らせが来た。

どうやらアメリカでずっと病気していて連絡できなかったと手紙が来たらしい。

だけどそこに連絡先は残されていなかった。

だからお爺ちゃんのこと、お父さんはまだ知らない。

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お爺ちゃんは昔保健所で働いていたらしい。

上海の下水問題に携わってて、中国の公衆トイレの問題に貢献したという。

そんなお爺ちゃんに最後に会ったのはもう3年前。

とても健康的で、元気なお爺ちゃんだった。

「91歳の高齢だから、会う度に回数が減るよ」とお母さんに何度も上海に着いたら会いに行きなさいと促されていた。

上海に着いてから、行きたかったものの時間が取れなくて、お爺ちゃんが越した先の老人ホームの場所もわからなかったので、お母さんが上海に来てから一緒に行けばいいやと思っていたのに。

最後に会えなかったことが唯一の後悔。

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人は「また会える」なんて思っていると、一生会えなくなることもある。

今日いた人が明日いなくなることもある。

今、そばにいる人を、心から大切にしよう。

人間だから後悔を残すこともある。

だけど大切にした分だけ、人は人の心の中で生きられるよね。

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